勿来、小名浜、新舞子、四倉と沿岸部を北上した。
したがって、現地の画像も多数納めてきたが、ここでの掲載は控えたい。
福島第一原発から34km、第二原発から13km。
福島県いわき市の県立四倉高校には約250人の避難者が残っている。
約1キロ原発寄りの避難所にいた人々は、いわき市のチャーターバスで安全な場所に移動した。
屋内退避指示がでている半径20-30km圏内について、行政側は「自主的避難」を支援。
30キロ圏外でも車などの移動手段がある市民は次々と遠方へ脱出している。
四倉高校にいるのは車がないか、あってもガソリンが尽きて身動きできないお年寄りなどの災害弱者だ。
11日、大津波は海岸から約1キロの校門前まで押し寄せた。
直後から家を失った約1200人が着の身着のまま逃げ込み、校庭は車で埋まった。
翌日、「福島原発で炉心溶融」との情報が流れると、大半はあっという間立ち去った。
残されたのはほとんどがお年寄りで、寝たきりや自力で歩けない人が10人以上。
風評被害により民間企業は物資を運んでくれず、食料と水は市の配給に頼るしかない。
断水が続いている為、避難以来ほとんどの人が風呂に入っていない。
仮設トイレの汲み取りはほとんどなく衛生環境も悪化しつつあり、感染性胃腸炎とみられる症状が広がっている。
県又はいわき市の対応は「再避難してもらう予定はない」。
被災者受入の申し出があっても丁重にお断りしている。
なぜだかはわからない。
四倉高校の職員とコンタクトを取ったのは20日の朝。
それまでの2日間、沿岸部を回り見た光景は、他の地域で報道されている津波被害のそれと全く同様。
道端で座り込み涙を流すご老人、支援物資を届けると本当に喜んでくれる被災者。
まだ多くの人が困っているだろうと、ツイッターで検索していると、残っている避難所の中で原発から最も近い四倉高校を知った。
早速、電話連絡してみると職員の方が応対してくれた。
困っている物資は無いか聞くと、
「水・食料等は毎日必要最低限、配給されています。
それよりも周りにまだ住んでいる地域住民の方々が困っているのでそちらを助けてほしい。
取りに来られても分けてあげられない実情です。
あっ!今も大きい揺れがきてます。どうかお願いします」
これを聞きなんとか住民に配れないか相談し、四ツ倉駅前で配ることに決めた。
高校からは、取りに来た人にアナウンスしてもらい、あとはツイッターで呼びかけた。
延べ30人くらいの方々に配れたと思う。
ここでは、皆さん譲り合いで、余分に持って行ってくださいといっても、申し訳ないと遠慮する方々ばかりだった。
小さな子供達は、お菓子に喜び、マスクもせずに走り回っている。
そこで、近くの老人ホームや四倉高校も実は物資不足だと聞き、奄美大島から救援物資を2000km自走で持ってきてくれたアースデイ奄美の方と回る。
うちは大丈夫だから地域住民へと言っていた方々も、物資の中身を見てとても喜んでくれた。
そして23日今朝、震度5の地震が連続して発生。
心配になり、連絡先を交換していた避難所に連絡してみると、
「やはりもう、精神的にも良くない。余震、原発、断水による衛生面、これ以上耐えるのは厳しい。早く行政が決断して、再避難したい。
今までは、メディアの取材も口頭のみで、映像は市が許可していないので実情を発信できていなかった。
原発北側の南相馬の行政の動きと比べると遅すぎる。いわき市は大きいので、一地域だけの対応が難しいのだろう。
しかし北と南の困窮度合いが違いすぎるし、1km先の避難所は市の支援で再避難している。
とにかく、周りからの訴えかけも協力してもらい、市を動かすしか方法が無い。
ダメでもせめて衛生環境を改善してもらいたい。」
現在、メディアへの取材依頼、避難受入を申し出てくれている自治体からのいわき市への働きかけを行っている。
政府は今後、原発がどうなるかという長期ビジョンを発表していない。
したがって、周辺住民の中でもご老人たちは、ここで死んでもいいとか、原発の冷却が進めばすぐに帰れるだろうと考えている。
避難30kmは妥当だと思われるが、いったいいつになったら解除されるか、ほとんどの方が知らないであろう。
電気と電話は開通している。
食料物資も回り始めている。
支援も次のステップに進まなければならない。
と言う事で、この実情を少しでも広め現状を打開したい。